哲学
世阿弥による乗り越えの方法
2016年1月15日 哲学
てつさらです。 前回の投稿の続きです。 主観と客観の対立を乗り越える方法はあるのでしょうか。 その一つの方法が、世阿弥の説いた「目前心後」あるいは「離見の見」というものでしょう。 「目前心後」、「離見の見」 …
私と他者との絶対的な境界
2016年1月13日 哲学
てつさらです。 前回の投稿では、主体と客体との区別の消失を安易に主張する一部の仏教的な態度に対しての疑問について書きました。 この、自己と他なるものとの境界をまたぐことに関しては、デリダのメルロ=ポンティ批 …
主体と客体との区分が消失する?
2016年1月13日 哲学
てつさらです。 先日の投稿で、仏教の座禅や瞑想による訓練の結果もたらされる特異な精神状態が、脳の幻覚に過ぎないのではないか、ということを書きました。 それとちょっと関連する話なのですが…… 私は、仏教的な無 …
宗教的な体験は脳の幻覚?
2016年1月10日 哲学
てつさらです。 NHKスペシャル『超常現象―科学者たちの挑戦』という番組の再放送があったので、見ました。 テーマは、臨死体験や死後の生まれ変わりについてでした。 その番組によると、臨死体験は、単なる脳の異常 …
両極端の結びつけによる悲劇の乗り越えの方法
2016年1月7日 哲学
てつさらです。 去年は何度か、読書会に参加しました。 その中の一回が、芥川龍之介の短編のいくつかを課題にしたものでした。(課題となった作品は、「杜子春」「地獄変」「蜘蛛の糸」「歯車」「蜃気楼」「羅生門」「鼻 …
「宇宙の缶詰」としての待庵
2016年1月5日 哲学
てつさらです。 前回の記事で、「待庵」という茶室の持つ、特異な内と外との関係について述べました。 待庵では、外に捨て去ったものが、内部に存在するとされます。これは明らかに論理矛盾です。 この矛盾をどう考えた …
ヘーゲル『精神現象学』の読み方
2015年7月5日 哲学
てつさらです。 少し暇になったので、ヘーゲルの『精神現象学』を少しずつ読み進めています。 この本、何度か挫折しているんですよね。(大昔に、よく分からないまま、一回通しで読んだくらいです。) 挫折の原因は、あ …