てつさらです。

去年は何度か、読書会に参加しました。

その中の一回が、芥川龍之介の短編のいくつかを課題にしたものでした。(課題となった作品は、「杜子春」「地獄変」「蜘蛛の糸」「歯車」「蜃気楼」「羅生門」「鼻」「魔術」「藪の中」「奉公人の死」、以上10編でした)

その中の「地獄変」に関する議論の中で言おうと思っていたことがあるのですが……、その日はちょっと発言しそびれてしまったので、備忘録的に書いておこうと思います。

「地獄変」では、良秀の娘に惚れ込んだ大殿は、娘をわがものにしようとします。そのことに娘は苦しみ、拒んでいました。娘を溺愛する良秀は、大殿から娘をなんとか守ろうとします。しかし、大殿の権力の前では、良秀は無力です。

良秀は、「娘を救うのは死をもって以外にない」と思い知るようになります。良秀が娘の死を受け入れたのは、ギリギリの選択でした。それは娘を救うための究極の選択だったのです。

そう決意したからには、良秀は愛する娘の死を、しっかりと受け止めることしかできません。まさに地獄のような苦しみに耐えなければならないのです。それをなんとか可能にしたのは、芸術家としての良秀の高い精神性でした。

日本近代文学研究者の細江光氏は、このような解釈に沿った上で、この作品のクライマックスについて、次のように書いています。

……それは、良秀が、娘を焼き殺されるという地獄のような苦しみ・悲しみを乗り超えたことで、初めて辿り着くことの出来た、或る偉大な境地、《開眼の仏》に譬えられるような、高い境地を暗示したものであった。
それは芸術というものが持つ力でもあると私は思う。娘が焼かれているという目の前の悲惨な現実が、良秀の心の中で芸術作品として見られた時、それは、良秀・娘・大殿といった個々人の現実ではもはやなくなり、それを乗り超えた普遍性と永遠性の世界、象徴へ、芸術へと昇華されたのである。
もし地獄変の屏風が、普通の地獄変相図と同様、《炎熱地獄の大苦艱(だいくかん)》を表わすだけだったとしたら、そこに美しく心優しい、何の罪もない女人を描き込む理由は、本来無い筈である。この絵は、美しい上臈(じょうろう)を敢えて地獄の中に置くことで、上臈が象徴する人間の生・喜び・美・愛・栄光・自由などが、それぞれ地獄が象徴するその反対物―死・苦悩・醜・憎・悲惨・運命などと一体不可分であることを表わしているのだと思う。
(細江光『作品より長い作品論』より引用)

良秀は、優れた芸術家でしたから、悲惨な現実と崇高な世界という両極端を、芸術を通して結びつけ、昇華することができました。それにより、娘を焼き殺されるという現実を、なんとか乗り越えることができたのです。(良秀はのちに自殺してしまいますから、完全に乗り越えたとは言えないかもしれませんが……)。

このような両極端の結びつけによる悲劇の乗り越えの方法を、私たちは、バタイユの「ヒロシマ」をめぐる思想にも見て取ることができます。

1947年、バタイユは『クリティック』誌に『広島のひとたちの物語』と題された論考を発表し、原爆によって破壊されたヒロシマに対する彼の思考を展開しています。

この論考の中で、バタイユは、ヒロシマの出来事を政治的な文脈で語ることに対する嫌悪感を露にしています。
ヒロシマ・ナガサキの悲劇を知ったとき、私たちはその途方もないおぞましさに圧倒され、短絡的に反核運動へ走ったり、「ノー・モア・ヒロシマ、ノー・モア・ナガサキ」の大合唱に加わったりしがちです。しかし、バタイユはこのようなことを無益なこととして直ちに退けるのです。

しかし出口を求めて政治の道すじにはいりこむ感性は、つねに品性の劣る感性である。それはごまかしをしている感性であり、あきらかに、ある政治の目的に仕えて、もはや奴隷的な、あるいは少なくとも従属的な感性でしかないものとなっているのである。このごまかしはきわめて顕著である。
(『広島のひとたちの物語』・山本功訳・二見書房

私たちは、ヒロシマの悲劇を直視する勇気を持たないために、それを直ちに理性的な原理に還元してしまいます。理性的な原理とは、時間の秩序の中に出来事をからめ取り、今ここで出来事と向かい合うことを拒否する姿勢、未来の目的に今を従属させ、明日への配慮を第一義的なものとして顕揚する立場のことです。それはすなわち、今目の前に生起している物事を、計量化し、数値化して、飼い馴らすことを意味します。

そのような態度は、ヒロシマの想像を絶する無意味さを前にしての欺瞞でしかありません。バタイユはこのような理性的な配慮に、「瞬間」の体験にあくまで留まろうとする、至高の感性の働きを対峙させようとします。

至高の感性の瞬間は、従属させられているお涙頂戴式の状態とは、なにからなにまでまったく異なったものである。むしろそれは、ある意味では、同じように理性の諸限界から、すなわちあすへの心配りから自由な、動物的な純粋の感性に近いものである。動物とおなじに、至高の感性の人間は現在の瞬間より先は見ない。いまある不幸をつぐなうものとして、やがてあるだろう幸福が提供されるとしても、関心は示さない。かれの目には、不幸にあたえられる唯一の答えは、たちどころに、その瞬間に、価値あるものでなくてはならない。…至高の感性は、理性を上まわるものとして位置づけられ、有効な活動の限界内では理性を認めるが、それを超出し従属させるものだからである。
(前掲書)

あの「瞬間」、ヒロシマとナガサキを覆った想像を絶する光景を極限まで追体験すること、あらゆる夾雑物を取り払い、純粋な出来事としてその「瞬間」を凝視すること、それは宗教的な瞑想の境地に匹敵する至高の体験となります。まるで灼熱した鉄の塊を素手で握りしめるに等しいその体験を通じて、私たちは、ヒロシマ・ナガサキの絶対的な失意、その途方もないおぞましさを突き破り、「歓喜をはみ出る歓喜」へと到達できるのだとバタイユは言います。

それは無限の苦悩と、めくるめくような恍惚が、至上の高みのうちに溶け合おうとする状態でもあります。(その体験は、シルヴァプラナの湖畔でニーチェが啓示のように体験したあの『永劫回帰』の観念、あるがままの瞬間が、意味も目的もないまま不可避的に回帰する、無の永遠の思想になぞらえられます。)

これほど完璧な賭において恍惚状態を避けようもないものにし、閃光のように解放し、想像を絶する失意を光明に変えるものは、あらゆる希望の抹殺である。……わたしの前に、むしろわたしのうちに、休むことを知らぬ瞬間が、骰子のように投げられ、そのたびごとに、落下に伴い永遠をもたらすことになるとすれば、―もし救いがなく、世界の合理化された未来も、可能なもののすべてへと開かれているこの状態を変えることができないとすれば、―大気にみなぎる風や光のようなあのさけび、多少とも雄々しいものであるなら、恐怖―というのは、あすへの心くばりのことだが―にはいささかの余地も残さないあのさけび以上に、価値あるものはなにもないことになる。しかし、もしそうなら、もしわたし自身のうちに、歓喜である無際限な苦悩、あるいは無限の苦悩である歓喜が確立し、わたしが「自分を位置づけてくれているこの歓喜以上に価値あるものはなにもない」と言い、そう言わずにはいられないとすれば、その断定は、一気にわたしを感性がこの上なくきびしい試練に直面する地点へと拉し去ることになる。
(前掲書)

以上、てつさらがさらっと書きました。