てつさらです。

今回は、かなり時期を逸した内容の記事になりますが……、

去年、日本各地でかなり盛り上がったハロウィンのイベントについて、西川貴教という芸能人が、twitterで次のような発言をしたことが話題になりました。

ハロウィンの盛り上がりに水を差す気はないですが、やっぱ本来のハロウィンで仮装するのは小さな子供達で、大人がコスプレして我がもの顔でねり歩いたりするもんじゃないんですよね。日本で言えばお盆みたいなもんなんだから、クリスマス同様家族で過ごすものなんだなと改めて思うヒースロー空港なう。

西川氏が年頭に置いている「本来のハロウィン」とは、たぶんアメリカのイベントだと思います。子供たちが「Trick or Treat」 と言いながら、近所の家々を訪ね、菓子を集めて回る習慣のことですね。

しかし、この「本来のハロウィン」は、実は「本来」のものでないことはよく知られています。ハロウィンとは、゛古代ケルト人が起源と考えられている祭のこと。もともとは秋の収穫を祝い、悪霊などを追い出す宗教的な意味合いのある行事であった”(wikipediaより)そうです。

日本のハロウィンの祝い方が本来のものでないのと同様に、アメリカの習慣も、決して本来のものではないのです。

また、(以前の記事にも書きましたが……)キリスト教の祭日であるクリスマスも、「本来は」、別の宗教のものであったそうです。(以下の内容は、デズモンド・モリス『クリスマス・ウォッチング』を参照した)

クリスマスの12月25日はイエス・キリストの生誕の日とされていますが、これは何の根拠もない説みたいです。5月16日説、5月20日説、4月9日説、4月19日説、4月20日説、1月6日説、1月18日説、3月29日説、9月29日説……など、いろいろな説があり、どれにもきちんとした根拠はないとのこと。

ただ、クリスマスの頃は、古代から異教徒たちが冬至祭を祝ってきた時期であり、西方キリスト教会は、あえてその中間の12月25日にキリストの生誕日を定めることで、異教徒たちを自分たちの信仰へ取り込もうと考えたのだそうです。

彼らは、異教徒の祭りを排除するのではなく、あえて尊重し、その中にキリストの生誕日を定めることで、異教徒の取り込みを図ったのです。本来はキリストの生誕を静かに祝う日であったクリスマスに、プレゼントを交換し合ったり、パーティーをしたりするのは、異教徒の冬至祭の名残ですね。

クリスマスツリーも同様です。もともと1,200年前のドイツでは異教徒たちは樫の木を信仰の対象にしていました。この異教徒たちを改宗させるため、キリスト教の伝道師たちは、彼らの樹木信仰を利用しました。その際、伝道師たちは、樫をモミの木に変えたのですが、それは、モミの木が横から見ると三角形に見え、それが(父と子と聖霊の)三位一体を象徴すると考えられたからだそうです。

このように考えていくと、「本来」とか「起源」というものの多くが、かなり怪しいものに思えてきます。

むしろ、「本来」とか「起源」というものの根底には、常にそれとは異質の要素があるのではないか、本来性と異質性の間には表裏一体の関係があるのではないか、そういう風にも思えるのです。

このことは、ここ何回かの投稿で考えてきた「待庵の芸術性」と少し関係があるのかもしれません。

以上、てつさらがさらっと書きました。