てつさらです。

NHKスペシャル『超常現象―科学者たちの挑戦』という番組の再放送があったので、見ました。

テーマは、臨死体験や死後の生まれ変わりについてでした。

その番組によると、臨死体験は、単なる脳の異常反応によるものだそうです。事故や病気などで心臓が停止すると、脳への酸素の供給がストップします。以前はその段階で脳も機能を停止させると思われていたのですが、実はそのあとも脳は活発に活動することがわかってきたそうです。「トンネルの先に光が見えた」とか、「光に包まれた天国のような場所にいた」とか、「死んだ人に再会した」といった、臨死体験に特有のビジョンも、実はこの脳の酸素供給停止後の異常活動によるものではないか、というふうに解説されていました。

戦闘機パイロットの訓練で使われる耐Gのトレーニング装置で、パイロット候補生に10G程度の遠心力を加えると、それによって脳への血流が減少し、脳が臨死に似た低酸素状態に陥ります。その時、訓練生の多くが失神状態となるのですが、その時に彼らは、臨死体験者と同じようなビジョン(トンネルの先に光が見えた、など)を見るのだそうです。

また、臨死体験をした多くの人が、自分の魂が体から抜け、空中を浮遊し、倒れている自分の肉体を上から見下ろした、といった体験をするそうです。
しかし、これも科学的に説明可能だそうです。通常、人間はGPSのような機能を身体に持っていて、自分の足や腕、頭の向きなどを判断しています。しかし、瀕死状態では、この脳のデータ処理にエラーが起こり、全く別の場所に自分の存在を感じたり、体が2ヵ所同時に存在しているように感じたりしてしまうのです。(番組では、人為的に脳の処理エラーを起こす装置で、被験者が容易に幽体離脱のような体験をする様子が描かれていました。)

また、番組では、生まれ変わりについての解明もなされていました。2歳ぐらいの子どもがよく、過去に実在した人物の生まれ変わりであると自己主張することがあります。しかしこれも、発達心理学的には説明可能なことだそうです。幼い子どもでは、実際に経験していないことでも、大人が話したり、テレビで見たことを、あたかも自分の経験であるかのように思い込んでしまうこと(幼児期健忘)が起こるそうです(大人の方は子どもにそういう話をしたり、そういうテレビを見せたことの記憶を驚くほど簡単に忘れてしまいますが……)。生まれ変わりの記憶のほとんどが、幼児のそのような架空の記憶によって作り上げられたものである、とのことでした。

私も、臨死体験や幽体離脱、死後の生まれ変わりといったものの正体は、そういった幻覚や思い違いによるものではないかと思っています。

多くの宗教が、そのような不思議な体験を利用して、自らの教えを補強してきたという歴史があったと思います。しかし、今後、科学は次々とそのような体験の偽りを解明していくにちがいありません。そうなると、そのようなことに依存してきた宗教の教えの多くが、かなり厳しい立場に追い詰められていくのではないでしょうか。

例えば、仏教の密教や禅宗では、座禅や瞑想によって、無の境地に至ったり、体外離脱する……といった体験が語られたりします。しかしこれらの体験も、もしかしたら、脳の幻覚によるものではないかとも思えるのです。

座禅や瞑想では、いくつかの感覚器官を閉ざすなどして、かなり脳を異常な状態へと追い込むことが行われています。たとえば、視界を閉ざしたり、同じ姿勢を長時間とり続けたり、一つのものを凝視したり、同じ文言を何度も唱えたりします。

無我の境地や体外離脱といった異常な体験は、このように脳が日常とは異なる状況に長時間置かることによって起こる幻覚に近いものではないか。そして、座禅や瞑想の達人とは、脳をそのような異常な状態に追い込むことに熟練した人たちにすぎないのではないか。

リチャード・ファインマンというノーベル物理学賞を受賞した科学者がいます。

『ご冗談でしょう、ファインマンさん』という自伝の中で、彼がタンク状の感覚遮断装置に入って宗教的な幻覚を見るという体験が語られています。

感覚除去タンクといったところで、ばかでかい浴槽のようなもので、違うのは蓋が下りるようになっているところぐらいのものだ。中は鼻をつままれてもわからないくらいの真暗闇で、蓋が厚いから音も全然聞こえなくなる。(中略)タンクの中の水には、濃度を普通より濃くするため、しゃり塩(硫化マグネシュウム)が入っている。だから体はわけもなくプカプカ浮いた。温度はリリー氏の研究によって決められた、体温のカ氏九四度(セ氏三四度)とかそれぐらいのものだった。光も一切遮断され、音もなく温度変化の感覚もなく、感じられるものは何一つない。
(前掲書より引用)

このような感覚遮断装置に入って何度か訓練を積むうちに、ファインマンは幽体離脱のような幻覚を見ることに成功するようになります。

それからというもの、僕はタンクに入るたびに幻覚を見ることができるようになった。それだけではなく、しだいしだいに遠くまで「自我」をひき離すこともできた。そのうち手を上下に動かすと、いかにもそれが肉体の一部ではなく、何か機械の一部ででもあるような感じがしはじめた。そのくせ感触には変わりなく、動きにしたがって普通に感じられるのだ。ところが同時に「僕」という感じではなく、「そこの彼」という感じがしてしかたがない。あげくに僕は部屋の外に出てそのあたりをうろつき、かなり離れたずっと以前見た事件が起こった場所へ行ってみたりすることもできた。
(前掲書より引用)

まさにこれは、チベット密教などでよく語られる「体外離脱」に非常に似た体験ではないでしょうか。悟りを得た人にしか得られないとされるそのような異常な体験が、実験装置によって比較的簡単に引き起こされうるものだとしたら、どうでしょう?

ちなみにファインマンが体験したタンクは、「アイソレーション・タンク(フローティング・タンク)」として製品化され、日本でも実際に体験することができるようです。(ここなどで)

このように、宗教的な体験の多くは、通常の感覚が遮断されることなどによって、脳の異常な状態が引き起こされ、それによって得られる幻覚に近いものではないかと思うのです。

座禅や瞑想などによって悟りの境地に至るといったことは、宗教と本質にはあまり関係がないのかもしれません。そのような異常な体験によって宗教の本質を説こうとするのは、むしろ宗教の本質に反するものではないか、とも思えるのです。

以上、てつさらがさらっと書きました。