てつさらです。

去年最後の投稿で、ちょっと書き忘れちゃったんですが……。

去年印象に残ったことといえば、「G型大学」「L型大学」というのもありましたね。

これは、冨山和彦というコンサルタントが、「第1回実践的な職業教育を行う新たな高等教育機関の制度化に関する有識者会議」で、日本の大学を、グローバルなエリートを育成する「G型大学」と、職業訓練を実施して地域の労働者を育成する「L型大学」に改編すべきだと主張したものです。

L型大学で学ぶべきこととして冨山氏が主張したのが、英文学部では観光客向けの知識や語学、経済学部・経営学部では弥生会計ソフトの使い方、法学部では大型特殊第二種免許……など。
(上記の提言の詳細はここから←PDFが起動します。)

また、上記の提言には、「文系のアカデミックライン(Lの大学には、従来の文系学部はほとんど不要)の教授には、辞めてもらうか、職業訓練教員としての訓練、再教育を受けてもらう」との記述もありました。

こういう頭の悪いコンサルタントに、国家百年の計たる教育を語らせてはいけないという典型のような提言なのですが……。

さらに衝撃的だったのは、中村伊知哉という現役の慶応の教授が、「冨山和彦さんの主張はぼくも議論に値すると思う。」とつぶやいていたこと。まさにバカの連鎖のようなことになっていました。

そもそも、L型とG型の線引きを、どういう基準で行なうのでしょうか?

また、観光客向けの知識や会計ソフトの使い方、大型特殊第二種免許といった、すぐに陳腐化する知識、これからどんどん自動化・機械化されるであろう知識を、未来を担う若者たちに習得させて一体何の意味があるのでしょうか?さっぱりわかりません。現代のような、変化が極めて激しい時代、あまりに現状に適応しすぎた人材は、逆に変化に適応できなくなってしまうのではないでしょうか?

冨山氏や中村氏は、人間の知性の複雑さ、未来の不確実さというものを、あまりに単純化して捉えているように思えます。

むしろ今後の大学に求められるのは、そのような即物的な知識とはあたうる限り遠い、一見すると何の役に立つか分からない類の知識なのではないでしょうか?

例えば、若きスティーブ・ジョブズは、禅や哲学、カリグラフィー(西洋書道)といった、一見すると、後のアップル社の製品とは何のつながりもないようなことを学んでいました。

”先を見通して点をつなぐことはできない。振り返ってつなぐことしかできない。だから将来何らかの形で点がつながると信じなければならない。何かを信じなければならない。直感、運命、人生、カルマ、その他何でも。この手法が私を裏切ったことは一度もなく、私の人生に大きな違いをもたらした。”

グローバルであろうと、ローカルであろうと、このようなジョブズの遠回りの精神に学ぶことが、21世紀に通用する人材になるための、もっとも近い道だと、私は思います。

p.s.
多分、冨山氏自身は、自分はG型(グローバルなエリート)の代表格だと自負しているのかもしれませんが……、彼の目指すグローバル人材がこのようやバカな提言しかできないのだとしたら、あまりにお粗末です。

以上、てつさらがさらっと書きました。