てつさらです。
明石家さんまのCMに「♪しあわせって、なんだっけ、なんだっけ……」と歌うやつがありましたが……。
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私もそれなりに年齢を重ねてきて、幸せって何なのか、考えることがあります。
私なりに感じているのは、幸福自体を追い求めると、けっして幸福にはなれないということです。
これは、ヴィクトール・フランクルの『宿命を超えて、自己を超えて』という本に書かれていることです。
私は、人間はほんらい根本的に幸福を求めるものだという考え方に断固として反対します。人間が欲しているのは、幸福になる理由です。理由がありさえするなら、幸福は向こうからやってきます。ところが、幸福になる理由を求めずに、幸福そのものを求めるなら、幸福になれません。幸福は遠ざかっていきます。…キェルケゴールが言っているように…「幸福への扉は、外に向かって開く」のです。
(『宿命を超えて、自己を超えて』より引用)
そう、幸福への扉は、外側に開くのです。幸福そのものに突進しようとすると、弾き飛ばされてしまいます。そうではなく、一歩後ろに退くことで、中に入れるのものなのです。
それからもう一つ。幸福への扉は、たぶん私たちの視線の正面にはありません。幸福への扉は、たぶん、視線の端っこに、ちらりと見えるものなのです。
このことについては、以前の投稿でも書きましたが……。
「目の端っこでちらっと捉えられた何か」、それは私たちの世界を一変させる何かです。けっして正面切って私たちに対峙しはしません。その偶然性を帯びたものこそ、私たちに幸福をもたらしてくれるものなのです。
以上、てつさらが、さらっと書きました。
作家が「書かずにいられない状態」なのと同じく幸福もなろうとすると蜃気楼を追うことになりそうですね。
☆葉子様
おっしゃる通りですね。
幸福そのものは、蜃気楼のようなものですね。
実体があって、ないようなもの…。