てつさらです。
フランス文学者の内田樹氏によると、アルコールを入れる杯は、もともと不安定に作られているそうです。
杯のその不安定さが、必然的に、同席者による回し飲みという共同の動作を呼び起こし、それによって、酒席でのコミュニケーションが促されるという仕掛けになっているのです。
酒杯というのは、「卓上に置いたままにしておくと不安定に見えるので、つい手に取りたくなる」ような形状をしている。だからたいてい逆三角形をしているし、酒杯の中には「底が丸いもの」や「底に穴があいているもの」(絶えず指で穴を押さえていないと中身がこぼれ出る)がある。
―中略―
杯についてはその性質のすべてが「下に置かないこと」を人間に求めている。ご飯を食べるために両手を自由にしようと思ったら、杯を別の人間に手渡すしかない。
―中略―
「自分が欲するものは他人に贈与することによってしか手に入らない」という文化人類学的真理を私たちはこういう儀礼を通じて学習するのである。
(内田樹『ひとりで生きられないのも芸のうち』より引用)
なるほど。そういえば、ワイングラスにしても、徳利とか瓶子などの容器にしても、酒関係の器って、なんとなくみな重心が上方にある不安定な形をしていますね。
(ここでちょっと話は変わりますが……)
酒杯がそのような形状をしていたら、当然、杯はしょっちゅう倒れてしまいますね。特に酒が進んで、みんな酔っぱらってきたら、かなり頻繁に倒れてテーブルを濡らしてしまうでしょう。(皆さんも、そういう場面をなんども目撃していると思います。)
ところで、もしあなたが酒席にいて、前にいる人がテーブルに酒杯を置こうとしてそれを倒してしまいそうになったら、あなたはどうするでしょうか?
たぶん、とっさに手を伸ばし、その杯が倒れないように支えるでしょうね。だって、お酒がもったいないですから。(瓶子が転んで、「瓶子(平氏)が倒れた」とか言って喜ぶのは、鹿ヶ谷の陰謀を企んだ連中くらいなものです。)
その時、その杯を支えることができるのは、その場にいるあなただけです。世界中で、あなた一人だけが、その瞬間、酒がこぼれるのを救うことができるのです。
その一方で……、酔っぱらって、不安定な酒杯を倒しそうになるといったこと、そしてそれを目前の人が「あ、危ない」と思ってとっさに手を伸ばして支えるといったこと、そのようなことは、人類が器を使って酒を飲むようになってから、世界のあらゆる場所で、無数に繰り返されてきた行為です。
また、これからも、人類が器を使って酒を飲む習慣を止めない限り、無数に繰り返される行為でしょう。
倒れそうになった杯をとっさに手を伸ばして支える、その一瞬のうちに、「いま、この瞬間」と「人類の歴史が続く限り、世界中の場所で」とが交錯するわけです。
酒杯が不安定なのは、内田氏のいうように、酒席で人と人とを結びつけるためであるのと同時に、今と永遠とを結びつけるためではないか、そのように思われるのです。
以上、てつさらが、さらっと書きました。
目の前の歪みに気づければいいのですがね。
☆葉子様
「目の前の歪み」とは……?
そのグラスに不安定な感じを覚えなかったら、どうなるんでしょう?