てつさらです。

私が学生時代からよく読んでいる20世紀のフランスの哲学者たちの中には、不幸な亡くなり方をした人がけっこういますね。

実存主義の作家で、哲学書も書いたアルベール・カミュは、交通事故により急死しています。

メルロ=ポンティは、自宅で執筆中、心臓麻痺のため死去しています。その友人であり、好敵手でもあったサルトルは、比較的幸福な人生を全うしていますが……。

構造主義以降の哲学者たちになると、まともな死に方をしなかった人の方が多いくらいです。

フーコーは、エイズで亡くなっています。1984年の死去ですから、エイズによる死としてはかなり早い方じゃないでしょうか。

バルトは、交通事故にあい、その1か月後に亡くなっています。

ドゥルーズは、自宅アパルトマンから投身自殺しています。

最も悲惨なのはアルチュセールで、妻を絞殺するという事件を起こし、精神鑑定後、心神喪失による免訴となりましたが、その10年後、精神の病から十分に回復しないまま亡くなっています。

ラカンやデリダは、比較的安寧な晩年を過ごしたようです。

一方、最も幸福な晩年を送ったのは、レヴィ=ストロースでしょうね。100歳の誕生日には、当時のサルコジ大統領の表敬訪問を受け、フランスでは記念行事が行われるなど、学者として最高の敬意を受けつつ、その約一年後に天寿を全うしています。

もちろん、学者としての最高の名誉というのは、後世、その人の思想がどれほど社会に影響を与えたか、というところにあるわけで……、上記の人々が今後どういう評価を受けるか、全く分かりません。ましてや、その人がどういう死に方をしたのかなどとは、あまり関係のないことなのでしょう。

以上、てつさらがさらっと書きました。