てつさらです。

出版不況が叫ばれて久しいですね。書籍の売り上げは年々落ちているようだし、街の本屋さんもどんどん閉店しているみたいです。

通勤電車に乗っていても、以前は本を片手に読書している人を多く見かけましたが、最近は、あまり見かけません。新聞を読んでいるのはまだましで、ほとんどの人がスマホを覗き込んで、ゲームをしたり、SNSを見たりしているようです。(もちろん中にはスマホで電子書籍を読んでいる人もいるかもしれませんが……)

本というものが、特権的な情報の担い手という地位から滑り落ちてしまったのは明らかです。

一応、本は、再販制度に守られて、定価販売が義務づけられていますが、そういう特権的な保護ももう必要ないのかもしれません。

私にとって、本というものは、ずっと特権的な知識の源でした。しかしその地位が大きく揺らいだ経験があります。

まだブックオフがそれほど世間に広まっていない頃、私はそうとは知らずに、(仕事の出張帰りだったと記憶していますが、)あるブックオフのお店に偶然足を踏み入れました。普通の古本屋のちょっと新しい形態かなと思ったくらいでした。

しかし、その中は、古本屋とはまったく違っていました。100円のコーナーに、大量の本が整然と並べられていたのです。まるでスーパーの陳列棚のように……。それは、本というもののオーラが私の前から消失した瞬間でした。

夏目漱石も、森鴎外も、赤川次郎も、村上春樹も、全てひとしなみに、100円の棚に、アイウエオ順に並べられていました。

ああ、本も、キュウリやキャラメルやパンツとおなじ、単なる消費財なんだと、その時私は覚ったのです。

本というものが特権的な地位から滑り落ちたことは、もちろんいい面もありますし悪い面もあります。

ただ、私の中にはまだ、どこか本というものの特権性を完全には忘れきれていないところがあります。ですから私は、本をひたすらため込んで、処分するということがなかなかできません。その結果、家には大量の蔵書が居住空間を占拠しています。

でももうそろそろ、本というものが単なる消費財であるということを、はっきり自覚して、思い切って処分すべき時期に来ているのかもしれません。

以上、てつさらがさらっと書きました。