てつさらです。

発達心理学の有名な問題に、「サリー・アン課題」というのがあります。

sallyann
図のように、登場人物はサリーとアンです。サリーはカゴを、アンは箱を持っています。

・サリーはビー玉を自分のカゴに入れ、散歩に出かけました。
・アンは、サリーの不在中に、カゴからビー玉を取り出し、自分のハコに入れます。
・サリーは散歩から戻ってきます。そのときサリーはビー玉をどこで探すでしょうか?

答えはもちろん「カゴ」です。

幼児は、自分が知っている場所ではなく、サリーの視点に立ってものごとを考えなければなりません。

この場合、正しい答えを出せるのは、健常児では 4 歳頃だそうです。

しかし、大人の世界でも、この4歳児に満たない知能しか持っていない人にときどき遭遇します。

以前、たしかフジテレビの「ぶらぶらサタデー・タカトシ温水の路線バスの旅」という番組を見ていた時、バス停にある電話番号が書かれていました。その番号に、タカトシだったか温水さんだったか、電話をかけようとしたのですが、なぜかそこには市外局番が書かれておらず、携帯電話ではそこにかけることができず、おろおろする場面が放送されていました。(結局、近くにいた人に聞いて、市外局番がわかったのですが……)

この電話番号の表示をした人は、たぶん市内の人なので、市外局番などいわずもがなだったのだとおもいます。しかし、屋外のバス停から電話をかけるとしたら、当然携帯電話を使うでしょう。その場合、市外局番は必須です。そんな想像力さえ、ないのでしょうか?

別の事例……。先日、家族の者が落し物をして、横浜市の港北警察署に行くことになりました。この警察署のホームページに行って、住所を調べようとしたのですが、そのヘッダー部分には「横浜市港北区大豆戸町680番地1」と書かれているだけでした。

「大豆戸町」って、何て読むんでしょうか?「だいずどまち」でしょうか?なぜ、公共機関なのに、何故、難読地名にルビを振らないのでしょうか?(正しくは、「まめどちょう」だそうです)横浜市民なら、全員読めるとでも思っているのでしょうか?

こういう想像力の欠けた表記を見るたびに、私は「サリー・アン課題」を想起してしまうのです。

以上、てつさらがさらっと書きました。