てつさらです。

先日、NHK・BSで、ツィオルコフスキーというロシアの科学者の番組をやっていました。

今から100年も前に、あらゆる宇宙開発について予言していたロシアの科学者、ツィオルコフスキー。人類の宇宙進出だけでなく、宇宙移住まで考えていました。
番組のHPより引用)

私は、その一部をちょっと見ただけなのですが……。

その中で印象的な部分がありました。ツィオルコフスキーは、宇宙での無重力状態を想定して、宇宙飛行士に、無重力状態で船内を移動する方法について、指導していたそうです。

もちろん、ツィオルコフスキー自身は、宇宙に行ったことも、無重力状態を体験したこともありませんでした。

にもかかわらず。彼は宇宙飛行士に指導する時に、過去形で語っていたそうです。

まるで、実際に彼自身が宇宙から帰還して、その記憶を語るように……。

何か未知のもの、絶対に接近不可能なものを語る際に、彼のように時間(時制)を操作するというのは、有効な手なのかもしれません。

親鸞は、自力と他力は永遠に交わることはないと説いています。自力と他力、両者は絶対に交わらない平行線のような関係にある。人間はみずからの力(はからい)によって救われることはない、阿弥陀如来の力(他力)によって救われるしかない、親鸞はそう説いています。ここに大いなるパラドックスがあります。

親鸞思想の核心は、いかにこの自力/他力のパラドックスを、パラドクッスを解消することなく乗り超えるのか、という、この一点にあります。

親鸞の言う「横超」とは、まさにこのパラドックスを、矛盾を解消することなく乗り超えるということを意味する言葉です。すなわち、絶対に交わらない平行線、その間にある深淵を埋めることなく、飛び超える、ということです

菅瀬融爾という人に「已然形の親鸞」という論文がありす。彼によれば、親鸞は、永遠(他力)と今(自力)との平行関係を横超する方法として「已然形」という時制を使ったのではないか、そう述べています。

ここにもやはり、時制(時間)の操作があるのです。

以上、てつさらがさらっと書きました。