てつさらです。

芥川龍之介の短編に、『芋粥』という作品があります。これは、『今昔物語集』という日本の古典に題材をとった、「王朝もの」といわれる作品の一つです。

まず、あらすじをご紹介します。

この物語の主人公である五位(位階の一つ。名前は明かされていない)は、元慶か仁和年間の頃、藤原基経に仕える、だらしのない格好をした40歳過ぎの侍階級の下級貴族である。彼は、周囲の人々からも酷い仕打ちを受けていた。しかし、彼は怒りもせず、「いけぬのう、お身たちは」と言うだけであった。そんな彼は、とある夢を抱いていた。それは、芋粥(山芋を甘葛-あまづら―の汁で煮た粥)を飽きるほど食べたい、というものだった。その望みを聞いて、藤原利仁という人物が、その夢を叶えてやることになった。しかし、実際に大量の芋粥を目にして、五位は食欲が失せてしまうのであった。
―Wikipediaより引用―

この物語のクライマックスは、やはり最後の場面、「芋粥を飽きるほど食べてみたい」と願いつづけていた五位が、大量の芋粥を目の前にして食欲を失ってしまうところでしょうね。

その場面の本文を引用します。

五位は、今更のやうに、この巨大な山の芋が、この巨大な五斛納釜(ごくなふがま)の中で、芋粥になる事を考へた。さうして、自分が、その芋粥を食ふ為に京都から、わざわざ、越前の敦賀まで旅をして来た事を考へた。考へれば考へる程、何一つ、情無くならないものはない。我五位の同情すべき食慾は、実に、此時もう、一半を減却(げんきやく)してしまつたのである。
 それから、一時間の後、五位は利仁や舅(しうと)の有仁(ありひと)と共に、朝飯の膳に向つた。前にあるのは、銀(しろがね)の提(ひさげ)の一斗ばかりはいるのに、なみなみと海の如くたたへた、恐るべき芋粥である。五位はさつき、あの軒まで積上げた山の芋を、何十人かの若い男が、薄刃を器用に動かしながら、片端から削るやうに、勢よく切るのを見た。それからそれを、あの下司女たちが、右往左往に馳せちがつて、一つのこらず、五斛納釜へすくつては入れ、すくつては入れするのを見た。最後に、その山の芋が、一つも長筵の上に見えなくなつた時に、芋のにほひと、甘葛(あまづら)のにほひとを含んだ、幾道(いくだう)かの湯気の柱が、蓬々然(ほうほうぜん)として、釜の中から、晴れた朝の空へ、舞上つて行くのを見た。これを、目(ま)のあたりに見た彼が、今、提に入れた芋粥に対した時、まだ、口をつけない中から、既に、満腹を感じたのは、恐らく、無理もない次第であらう。――五位は、提を前にして、間の悪さうに、額の汗を拭いた。
(青空文庫より引用)

こういう経験は、皆さんにもあると思います。どんな大好物でも、目の前に山盛りにして出されると、途端に食欲を失ってしまいますね。

この物語を、仏教の「縁起」の視点で考えてみましょう。

この世におけるあらゆるものは、相互依存的な意味のネットワークの中にあります。各存在は、そのネットワークの結節点であるにすぎません。あらゆるものは、周りのものとの関係によってしかその存在の理由を持っていません。この相互依存の関係性のことを、仏教では「縁起」といいます。

この「縁起」の考え方で見れば、この話の最後で、五位が、かつてあれほど好きだった芋粥に食べる前から飽きてしまった理由は明らかです。

例えば、この物語の前半までの五位と芋粥の関係を、私たちが「五位は芋粥が大好物だった」というふうに文章で捉えるとしましょう。

このとき私たちは、「五位」という主体、「芋粥」という対象、そして「大好物だった」という両者の関係を、言葉によって概念化し、実体化して捉えています。「五位」や「芋粥」という存在、そして「大好物だった」という関係の下に、確たる実体があるとつい思ってしまい、固定的に捉えてしまうのです。

このように、主体と対象との関係という二元的な図式でものごとをとらえることの限界を、仏教の「縁起」の考えは、打破しようとします。

五位の目の前に供せられた「芋粥」が、彼の好物の「芋粥」であるのは、そこに芋粥としてのしっかりとした実体があるからではありません。それを見る五位の置かれた状況や生活などがあってはじめて、彼の大好物の「芋粥」が存在するのです。

五位と芋粥をとりまく全てのものごとの関係の総体の中でのみ、五位や芋粥という存在が生み出されると言ってもいい。五位は、住みなれた京から敦賀という田舎へ連れ出され、大量の芋粥を見せつけられます。京の都でいつも食べたいと思っていた芋粥という前半の意味のネットワークとは明らかに違う意味のネットワークが、後半で展開されているのです。

ですから、物語の最後で、五位の目の前に置かれた「芋粥」は、かつての「芋粥」とは異なる存在だと言っていいでしょう。あるいは、「五位」自身も、物語の前半と後半とで異なった存在となった、と考えることもできます。

「縁起」的に考えれば、芋粥や五位という存在の下には、本質的な何か=「実体」はないのです。この実体のないことを、「空」といいます。

この「空」の思想は、龍樹(ナーガールジュナ)によって唱えられました。

龍樹は、『中論』という本の中で、次のような議論を展開しています。南直哉(みなみ・じきさい)氏の著作から引用します。

彼(龍樹)はこの書(『中論』)の中で「行く者は行かない」という詭弁めいた議論を展開しているが、この理屈は次のように考えるとわかりやすい。
 つまり、「彼が歩く」と言うとき、その彼はすでに「歩いている彼」である。すでに「歩いている彼」がまた「歩く」ことはあり得ない、というのである。この間違いは、「彼」と「歩く」という行為を切断し、それぞれを実体視するから起こるのである。「歩く」のは「彼」以外になく、「彼」はそのとき「歩いている」以外に存在のしようがない。実際に起きている事態は、言葉としては「彼が歩く」というふうに表現せざるを得ない、行為的関係・関係的行為のシステム全体である。
(南直哉『「正法眼蔵」を読む』より引用)

縁起の考え方では、「彼」と「歩く」は本来分離できないものです。龍樹菩薩は、このように本来分離できないものを、言葉や概念によって分離して考えることによって生じるさまざまな矛盾を突き詰めることで、「空」の思想を説いたのです。

あるいは、「隻手の声(せきしゅのこえ)」「隻手音声(せきしゅおんじょう)」という禅の公案があります。これは、臨済宗の白隠禅師が創案した有名な公案です。
白隠禅師は、修行者たちを前にしてこう言ったそうです。

「隻手声あり、その声を聞け」 (大意:両手を打ち合わせると音がする。では片手ではどんな音がしたのか、それを報告しなさい。)
(wikipediaより引用)

私たちは普通、右手と左手という実体があって、その両方が打ち合わされることで、拍手の音が生じ、それが私たちの耳に達することで音が聞こえる……、そのように考えてしまいます。この現象をバラバラの概念に分解したうえで、それを後から組み合わせているのです。

しかし、そのような実体的な考え方で捉えていたのでは、「片手で拍手をして音を出す」ということの意味が、全く理解不能になってしまいます。

縁起の考え方に従えば、拍手の音を聞く者を含めた全ての現象、意味システムの全体があってはじめて、私たちは、手という存在のあり方や、音が響きそれを聞くということの意味などを問わなければなりません。

この公案は、片手で拍手をする音が聞こえるという世界、その現象のシステム全体をまず受け入れなさい、そう教えているのです。

そのようにして、概念以前の、無分別の知へと至ろうというのが、仏教的な「縁起」や「空」の考え方です。

この縁起や空の考え方を知れば、『芋粥』という作品も、より深く楽しめるのではないでしょうか。

以上、てつさらがさらっと書きました。