てつさらです。

今日、電車に乗っていたら、不意に、学校の教科書に載っていた、吉野弘氏の『夕焼け』という詩を思い出しました。(吉野氏は去年、亡くなりましたね。)

電車の中で、詩人が、心優しい娘の様子を見ている情景の詩なのですが……。

娘は電車の席に座っています。その前にに年寄りが立ちます。心優しい娘は、年寄りに席を譲ります。その年寄りが降りると、娘はまた空いた席に座ります。
すると再び、別の年寄りが娘の前に立ちます。娘は少し迷いますが、また席を譲ります。また、途中で年寄りは下車します。すると三度(みたび)、年寄りが娘の前に押し出されてきます。

二度あることは と言う通り

別のとしよりが娘の前に

押し出された。

可哀想に。

娘はうつむいて

そして今度は席を立たなかった。

次の駅も

次の駅も

下唇をギュッと噛んで

身体をこわばらせて……。

僕は電車を降りた。

固くなってうつむいて

娘はどこまで行ったろう。

やさしい心の持主は

いつでもどこでも

われにもあらず受難者となる。

何故って

やさしい心の持主は

他人のつらさを自分のつらさのように

感じるから。

やさしい心に責められながら

娘はどこまでゆけるだろう。

下唇を噛んで

つらい気持ちで

美しい夕焼けも見ないで。

吉野弘『夕焼け』より引用

今改めて読み返すと、ちょっとセンチメンタルに過ぎる印象を持ってしまいますが……。でも、今でもこの詩を覚えているということは、やはりいい詩なのかもしれません。

そして今日、この詩のことを思い出した私は、さらに奇妙なことを想像します。

私は、この娘とある日出会うのです。娘は何十年も経った今でも、若いままです。

「きみは、あの詩の娘さんですね?」と、私が尋ねます。娘は何も言わず、ただ頷くのです。

私はただ、彼女の恥ずかしそうに頷く顏を見つめています。その娘の顔には、あの日と同じように、夕焼けの美しい光が射しています……。

以上、てつさらがさらっと書きました。