てつさらです。

科学的思考と、それ以外の思考(例えば、呪術的思考や宗教的思考)との関係を考える際に、よく問題となるのが、科学的思考は、ものごとの真実により近づいているのかどうか、ということだと思います。

科学も一種のイデオロギーであり、その現実の捉え方は、呪術的思考や宗教的思考の捉え方と、本質的には変わりない、と考える人がいます。科学的思考は、その他の数ある思考と同列のものであり、それに特権的地位を与えるべきではない、という立場です。

しかし、もちろん、そういう考え方に異議を唱える人はいます。というか、現在は、そういう人の方が圧倒的多数でしょう。科学こそ、他の様々なイデオロギー的思考とは一線を画す、より客観的な思考なのだ、というわけです。

それは、科学が成し遂げたさまざまな成果を一瞥すれば、明らかだ、彼らはそう主張します。例えば、医学の進歩により、人間は現実としてさまざまな病気を克服し、より健康になった、それは疑い得ない真実だと思います。人間は、呪術的な方法によって病に対していた時代にくらべ、はるかに確実に、病気に打ち克っている。その事実こそ、科学的思考法の優秀性の何より証左ではないか、そう主張するのもむべないことです。
しかし、本当にそうなのでしょうか?

確かに、科学は、人間にとって都合のいい環境を整えてきました。人間は科学の進歩により、より長生きすることが可能になり、より豊富な食料を手にし、より快適な環境を手にしてきました。それは疑うことのできない事実です。
しかし、それはあくまで、人間という限られた生き物の価値観でそう判断しているにすぎないのではないか、そのようなふうに考えることも可能です。

そのようにして科学が発達することで、例えば地球環境が破壊され、人類以外の生き物たちの生存が脅やかされています。もし、地球全体という視点で考えれば、人類の科学の進歩は、災厄なのかもしれません。

もしかしたら、人類とは、地球全体にとってはガン細胞のようなものかもしれません。ガン細胞にとっては、どんどんと自己増殖することは価値のあることでしょう。しかし、ガン細胞を宿している生命体にとっては、その増殖は悪に他なりません。
もし、ガン細胞が自己増殖し続けることで、宿り主の生命自体を危機に追いやるとしたら、どうでしょう。いったい何が悪で何が善なのか、何が正しくて何が間違っているのか、そう簡単には断言できなくなってしまうのではないでしょうか。

人類はそもそも、地球環境や他の生命たちに悪影響を与えない範囲で、つつましく生存すべきだったのかもしれません。そのためには、もしかしたら、科学的な思考法よりも、呪術的な思考法の方が、優れていたのかもしれません。

以上、てつさらがさらっと書きました。