てつさらです。
皆さん、「禅」という言葉で、どういうことをイメージしますか?
Zen Stone Garden Kyoto / Bermi Ferrer
「座禅を組む」とか、「禅問答=訳のわからないやり取り」…みたいなイメージが大半だと思います。
あるいは、「無駄をそぎ落とした簡素さの極致」みたいなものでしょうか。(これは、スティーブ・ジョブズが魅了された禅のイメージに近いですね。)
今回は、それらとは別の、ビジネスに役立つ禅の効用についてお話します。
■顧客満足(CS)は社員の性格に依存する?
顧客満足(CS)というものがあります。企業のお客さんが、どれくらい企業の商品やサービスに満足しているか、という指標です。
顧客満足度を高めるための取り組み、いわゆるCS活動が、企業にとっては非常に重要です。企業にしてみれば、顧客満足度のアップは、企業の業績アップに直結しますから、これは当然ですね。
このCS活動には、さまざまあります。例えば、顧客にアンケート調査を行いその結果を業績評価に結びつけるとか、CSをなんらかの数値に置き換えて、具体的な数値目標として掲げるとか、社内の優良事例を共有するとか…。
でも、顧客満足度を高めることは、顧客に対する社員一人ひとりの心構えに大きく依存します。いくら立派なシステムを構築しても、社員一人ひとりが、お客さんのことを真剣に考えなかったら、絵に描いた餅なんです。
つまり、CSって、結局のところ、社員個人の性格とか資質に大きく依存するんですよね、身も蓋もない話ですが…。もともとお客さんに接することが好きで、相手のために少しでも役立ちたいと思える人、人に何かしてあげることに無上の喜びを感じる人もいれば、そうでもない人もいる。どちらが優れているということでもないですが、ことCS活動に関しては、前者の方々に適性があるのは言うまでもありません。
つまり、そういう資質を持っている社員を大勢集めれば、大げさな取り組みなどなくても、CS向上は何とかなるもんです。
逆に、後者の方々は、いくら会社から尻を叩かれても、CS向上に寄与することは難しいののではないでしょうか。
私は以前、さまざまな企業のCS向上のプロジェクトのお手伝いをしていた時があるのですが、その経験から言えば、もともと接客に向かないタイプの 人は、会社がいくらアメとムチでCS向上を指導しても、ほとんど効果がありません。(一時的な効果はあるでしょうが…、時間がたてば元の木阿弥です。)
だとしたら、CS活動は、社員の性格の問題ですべて片付いてしまうのでしょうか?性格や資質に問題がある人に何をやっても全く無駄なのでしょうか?
半分はそうだと言えますし、半分はそうでないとも言えます。
そこで、禅の登場です!
■「無我」となるのが悟りの境地
「え?禅って、CS向上に役立つの?」…もちろん、役立ちます。
禅を含めた仏教の目指すところは、自分を空にして、「無我」となることだと思います。それが「悟り」の境地です。
自分が空となり、万物と一体化するのが、悟りを得ることなのです。そのとき、自分とその外部とを隔てる境界線は消失し、切り離すことができないものとなります。
そのような境地に達したら、どのようなことが起きるでしょうか?
秋月龍珉という仏教学者の書いた『現代を生きる仏教』という本には、次のように書かれています。
これは私がよく引く喩えですが、朝顏が太陽の光線に一日中当たって、夕方になって喉が渇いてくる。我とそれとは、“区別はできるけれど、切り離すことができない”から、そうして、自我がなければすべて自己だから、そうした朝顏の喉の渇きが即私自身の喉の渇きになります。そこで、行って水をやるのです。 ―『現代を生きる仏教』より引用―
朝顏と私とが切り離されている状態では、ただ私は、朝顏がしおれている様子を見て、ああ、可哀そうだと思って、水をやる、ただそれだけです。
しかし、悟りを得て、私と朝顏とが一体化している状態では、朝顏の喉の渇きが即私自身の喉の渇きになりま。だから、私は水をやらずにはいられなくなります。そうしないと自分が苦しくて仕方ないからです。
この二つの心のありようは、天と地ほどの開きがありますね。
■革新的なCS活動への道
企業がこれまで取り組んできたCSは、あくまでお客さんと社員とを区別した上で、顧客満足を追求する、そういうものでした。
そうではなく、お客さんの望みが即社員自身の望みとなる、お客さんの苦しみが即社員自身の苦しみとなる…、そのような社員が多くなれば、その企業のCSは革新的に高まるのではないでしょうか。
禅の思想を、企業活動に取り入れる(例えば、仏教流の瞑想法を企業研修に盛り込むとか…)。企業のCS推進を担当される方がいらっしゃたら、ぜひ一考していただきたい方法だと思います。
以上、てつさらが、さらっと書きました。
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