てつさらです。

STAP細胞をめぐる騒動、大きな騒動になっていますね。

(現在報道されていることがほぼ真実であるとするなら)小保方さんのような未熟な研究者が、なぜ早稲田や東京女子医大、ハーバードのような著名な大学、そして理化学研究所のような日本を代表する研究機関で研究を続けることができたのか、かなり不思議ですね。

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(画像は産経新聞Web版より)

このことについて、ネットの世界では、いろいろと疑惑がささやかれているようです。

例えば、早稲田大学の伝統としてコピペ文化があったとか、若い女性研究者を必要以上に優遇した結果だとか、あるいはもっとひどい下司の勘繰りのような憶測も流れていました。

そういうこともあるかもしれませんが…。

でも私は、それは確率的にはそれほど異常なことではなかったのではないかと思っています。

(話は大きく変わりますが……)
ロジャー・マリスという大リーグの選手がいます。彼は、1961年に、それまでベーブ・ルースが34年間保持してきた年間最多本塁打記録(60本)を破り、61本のホームランを放った選手です。

今、ロジャー・マリスという名の選手を記憶しているひとは、それほどいないのではないでしょうか。

それほど偉大な選手とは言えないマリスが、どうしてベーブ・ルースのような大打者の記録を破ることができたのか。

レナード・ムロディナウの『たまたま』という本には、それが確率的には決して異常なことではないと書かれています。

なぜかを理解するためにより興味深い質問をしてみよう。標準のマリスの才能を備えた「全」選手と、ルースが記録を打ち立てた年から薬物使用のためにホームランがずっと一般的になった「ステロイド時代」までの「全」七〇年間を考えてみる。その場合、ある時代のある選手が単なる偶然でルースの記録に並ぶか破るかした確率はどれぐらいだろうか?そして、マリスがたまたまその幸運で、異常なシーズンの享受者だったと考えることは理に適っていないだろうか?
歴史を調べるとわかることだが、その七〇年という期間に、才能も機会も一九六一年の標準のマリスのそれに匹敵するような選手は、三年ごとにおよそ一人の割合で存在した。そしてそれらをすべて加えれば、それらの選手のうちの一人が、偶然だけで、ルースの記録に並ぶか破るかした確率は五〇パーセントを少し上回る。
言い換えると、七〇年という期間全体で考えるなら、年間四〇本塁打ぐらいが相当という選手に対して六〇本以上のランダムな急上昇は予期されることなのだ。そしてもちろん、それが誰であろうとその「幸運な」人間を、われわれが神のように崇めたり悪口を言ったり―そして飽くことなく分析したり―することも、予期されることではある。
(レナード・ムロディナウ『たまたま』より引用)

小保方さんのケースは、そのケースだけを取り出してみると、(ネットで騒がれているような)特殊な事情で起こったように見えるかもしれません。しかし、彼女のような未熟な学者が、いくつかの関門をすり抜けて、理研という高度な組織でリーダーになるといったことは、確率的には、数年に一度程度は、普通に起こりうる事態だと考えるべきではないでしょうか。

今回はそれが、STAP細胞というあまりに画期的な発見であったがゆえに、これだけ大騒ぎになってしまっただけで……。(同様のことは、同様の組織においても、数年に一度くらいは起こっているのでは?)

p.s.
さっきフジテレビの『Mr.サンデー』を見ていたら、雑誌『サイエンス』の記者が、でたらめな科学論文を作り、世界中の300を越える学術雑誌に送ったところ、なんと6割以上の雑誌が、その論文の掲載を了承した……、というようなことを言っていましたね。

1996年に同様の事が人文科学の世界でも起こりました。いわゆる「ソーカル事件」です。そのときは、ドゥルーズやラカン、ボードリヤールといったポストモダンの思想家たちが袋叩きに遭いましたが……。なんだ、科学の世界でもおんなじようなことが起こってるんじゃないか。

以上、てつさらが、さらっと書きました。