てつさらです。

前回の投稿の続きです。

主観と客観との対立を乗り越える方法として、今回は、精神分析家のジャック・ラカンの説く「黄金比」という考え方をご紹介します。

ラカンは、自己と他者との関係を表すのに、この「黄金比」の概念を持ち出しているのです。

黄金比とは、ある線分を2つに分割した場合、その長い方と短い方の比が、線分全体と長い方の比と等しくなる場合の比率のことです。例えば、線分AB 上に点 Pがあり、AP:PB=AB:APを満たすとき、この線分は、黄金比に分割されているといいます。

黄金比は、人間にとって、最も安定した美しい比率とされています。例えば、この比率を長方形の縦と横の長さの関係に当てはめると、最も均斉のとれた長方形ができあがるそうです。この比率は、古くは古代ギリシャのパルテノン神殿、近くはクレジットカードやタバコの箱のデザインなどに応用されています。

で、ジャック・ラカンの理論ですが…、彼は、「私」を分割された線分の長い方、「他者」をその短い方と考えると、この「私」と「他者」との関係が、黄金比になっているというのです。

つまり私(AP)から見た他者(PB)は、私と他者を合わせた全体(AB)から見た私(AP)に等しいわけです。

GoldenRatio

この場合、私と他者と合わせた全体を、ラカンは「神の視点」と言い換えています。

この式は、私にとっての他者は、私と他者の両方を合わせた普遍的な神のような視点から見た私の姿に等しい、ということを言っている。汝の隣人を愛せよ、なぜなら神は、汝が隣人を見ているのと同じ仕方で、背後から汝を見給うから、という訳だ。すなわち、私が、私を見る神の視点を持って隣人を見るとき、隣人の中に、神にとっての私の姿が見えてくるのである。

(新宮一成・『ラカンの精神分析』より引用)

私が他者を見つめるのと同じ視線で、全体(=神)は私を見つめているのです。そうであれば、もし私が隣人に愛を持って接すれば、神はそれと同じ愛を持って私に接してくれますし、逆に、もし私が隣人を憎悪すれば、それと全く同じ仕方で、神は私を憎悪するであろう…、ということなのです。

この考えに従えば、私の視線(主観)が、そのまま神の視線(客観)にスライドするということになります。

これは、かなり巧妙な主観と客観の対立の乗り越えといえるのではないでしょうか。

以上、てつさらがさらっと書きました。