てつさらです。

いま、いろいろと困難な状況にあって、最近は、夜中にテレビを見ることくらいしか楽しみがなくなってしまいました。

 

そんな私が、毎週楽しみにしているのが、テレビ東京の『俺のダンディズム』という番組。

dandyism

 

中年サラリーマンの段田一郎が、職場のマドンナ宮本南が「ダンディな上司に憧れている」と言っているのをたまたま耳にして、ダンディズムに目覚めていく、というストーリーのドラマです。

 

時計、万年筆、靴……というアイテムが毎週取り上げられ、その商品のディープな知識が披露されています。これを見ていれば、けっこう詳しくなれるかも。

 

例えば、万年筆の回(第二回)の放送では、万年筆の基礎を築いたウォーターマンや、世界の三大メーカー(モンブラン、ペリカン、パーカー)、日本の三大メーカー(パイロット、プラチナ、セーラー)などが取り上げられていました。

 

それで、毎回、段田一郎が一つずつダンディになるための必須アイテムを揃えていくのですが……、時計の回の「ロレックス・エクスプローラー」とか、靴の回の「ジョンロブ・シティⅡ」なんかは、普通のサラリーマンが購入するには、ちょっと敷居が高すぎますね。手が出ません。

 

ちょっと無理して買えるのは、せいぜい、万年筆の回の「ペリカン・スーベレーンM400」くらいでしょうか。

 

でも、職場のマドンナに、「課長、とってもダンディですよ」なんて言われたら、それだけで大枚をはたく価値はあるかも……。(言われてみて~)

 

ところで、この番組が好ましいのは、ボー・ブランメルにはじまる「ダンディズム」の歴史をきちんと踏まえていること。主人公が選ぶアイテムも、人目を惹く奇抜なものではなく、極めてオーソドックスなものばかりです。

私の旧ブログでも、ダンディズムについて、下記のように書きました。(再掲します)

 昔、河出書房新社から、『人生読本』というムックのようなシリーズが出ていました。

 

私はそのいくつかを所有していましたが、今手元にあるのは『ダンディズム』という本だけです。

 

この本、今読み返してみても、安岡章太郎氏、津島佑子氏、北杜夫氏等の文章が面白いのですが、とりわけ興味深いのがボードレールの『ダンディ』という文章です。

 

自身ダンディであったボードレールは、ダンディズムを次のように定義づけています。

 

 “ダンディの美の特質は、何よりも、心を動かされまいというゆるぎない決意からくる、冷やかなようすにある。ひそんだ火の、輝くこともできるのに輝こうとはせずにいるのが、外からそれと洞見されるさま、とでも言おうか。”

(前掲書より引用)

 

この「輝くこともできるのに輝こうとはせずにいるのが、外からそれと洞見されるさま」というのが、ダンディズムの本質を示すものではないでしょうか。

 

ダンディの王者とも言われた、ボー・ブランメルも「身じまいが完全であるためには、人目をひいてはならぬ」と教えたそうです。

 

つまり、ダンディズムとは、目立たぬことを通して目立つ、輝かないことで輝く、という、極めて矛盾にみちた精神のありようのことだと思うのです。

 

今、巷間では自分の能力をいかに100%引き出すか、そして自分の価値をいかに強く世間にアピールするか、そういうことばかりが非常に重視されているようです。

 

その意味では、上述のダンディズムの精神は、今の時代にはあまりにそぐわないものなのかもしれません。

 

しかし、このはしたない時代において、矛盾にみちたダンディズムの精神はもっと称えられてもいいのではないか、そんな気もします。

 

それはアクセルばかり踏み続けているようなこの資本主義の時代における、高貴なブレーキの役目を担っているともいえるのです。

 

 “ダンディズムとは一個の落日である”

(前掲書中のボードレールの言葉)

 

それから、MANNISH BOYS(斉藤和義×中村達也)によるテーマ曲もいいですね。

 

この曲を聞いて、何故か、早瀬優香子の『去年マリエンバードで』という曲をちょっと連想してしまいました。(聞いてて切なくなる感じが、ちょっと似ている)

 

さらに、主人公がマドンナに褒められて、思わずジャンプして空中で足を合わせる動作は、サントリーオールドの昔のCM「 恋は、遠い日の花火ではない」シリーズでの、長塚京三のものですね。(これも、中年男性と若い女性との淡い恋心を描いたものでした)

この番組を見続けたら、ダンディになれるかも……。

以上、てつさらが、さらっと書きました。