キリタニカスミは、お金に困っていた。

もちろん、キャバクラなどの水商売で稼ぐことはできた。彼女くらいの容姿であれば、お店のナンバーワンとまではいかないにせよ、そこそこの数の常連客が付いても不思議ではない。
いや、実際、カスミはつい三か月前までは、都内K駅近くのキャバクラで働いていたのだ。そして、そこそこの数の常連客が付いて、それなりのお金を稼いでいた。女ひとりが生きていくには十分すぎるほどの金額だった。

でも、カスミはキャバクラ勤めにはいい加減うんざりしていた。
営業の電話をかけたり、お客と同伴出勤したり、アフターで食事をしたり……、といったことにうんざりしていた。また、それ以上に、お客にお酌をしたり、つまらない会話に付き合って相槌を打ったり、体を触られたりすることに嫌悪すら感じていた。

だからと言って、普通のOL生活などは想像もできなかった。

「簡単に、お金を稼げる方法はないかなぁ……」カスミはずっとそう望んでいた。

そんなカスミにとびきりの情報を教えてくれたのは、昔のキャバクラ仲間のナツキユイだった。
「たった十ヶ月で、キャバクラ時代の五年分は稼げるよ」とユイは言った。

ユイが教えてくれたのは、代理出産の仕事だった。
他人の夫婦の受精卵を子宮の中に入れて出産する、そういう仕事だ。子供が産まれると、当然、その夫婦に引き渡される。

今の日本の法律では、この代理出産は認められていない。でも、表面に出てこないだけで、そういうことは普通に行なわれているのだ。
「需要があるところ、必ず供給はあるのよ」と、ユイは言った。

「あなた自身はその仕事をしてるの?」と、カスミはユイに訊ねた。
「もちろんよ、今、妊娠二か月めよ。まだ目立たないけど」とユイは自分のお腹を指して言った。
「で、出産して、いくらもらえるの?」
その金額を聞いて、カスミは驚いた。「ほんと、すっごいいい仕事じゃん」。

それで、カスミはユイにその仕事を紹介してもらうことにした。
「本当は、そんなに簡単に紹介なんかできないんだけど……」とユイは言った。「あなたは特別。キャバ嬢時代、すっごくお世話になったからね」。
カスミは、別にユイに特別の世話をしたという記憶は全くなかったのだけれど、厚意はありがたく受け取ることにした。

カスミは、ユイに紹介された機関(「○○研究所」という物々しい名称だった)に申し込みの書類を送った。でも、実際に代理母に登録されるまで、かなりの手続きと時間が必要だった。カスミは、身分を詳細に調査され、数えきれないほどの書類にサインをし、何度も面接を行った。特に、代理出産の秘密を外部の人に明かさないことは、強く要求された。もしその約束を破るようなことがあれば、一生かかっても払いきれないほどの違約金が請求されると、脅しのようなことも言われた。

それでもカスミはその仕事を望んだ。なんといっても、びっくりするくらい高額の報酬が魅力だったのだ。十ヶ月我慢すればいい。そうすれば、もう禿げたオヤジたちにお尻を触られたりしなくてもいいのだ。

そしてついに、カスミは登録を許された。そしてすぐに、彼女の体内に受精卵が入れられる日がやってきた。
カスミは指定された病院に行った。それは、郊外にある、ごく普通の民家のような建物だった。病院の看板も何も出ていなかった。しかし、一歩中に入ると、それは紛れもない病院だった。カスミは清潔でピカピカした手術室に案内された。手術室には、若い男の医師と、若い女の看護婦がいるだけだった。二人ともマスクをしていたため、その表情はほとんど読み取れなかった。とても冷静で無口なその医者に指示されるまま、カスミは産婦人科用の手術台に寝かされ、両脚を支えの上に載せられた。医師は無表情のまま、カスミの体に金属の器具を差し込んだ。一瞬、鋭い痛みを感じたが、それは長く続かなかった。医師はモニターを見ながら、注意深く器具を操作した。カスミの位置からもそのモニターを見ることができた。器具の先がカスミの子宮に到達し、おそらく受精卵が無事着床した瞬間であろう、一瞬何かがピカッと光ったように見えた。
「これから一週間は安静にして、激しい運動はしないように」医者は、手袋を取りながら、カスミに注意を与えた。

カスミは無事妊娠したようだった。生理が止まったり、眠気や疲れが出たり、つわりがあったり……、そういう妊娠にお決まりの症状がそのことを示していた。

妊娠中、毎月の検査は、全て受精卵を体内に入れた病院で行われた。カスミに受精卵を入れた若い医師が、妊娠の状況を定期的にチェックしてくれた。
「経過は順調です」医師はいつもそう言った。

確かに経過は順調だった。しかし、カスミには気になる点があった。
妊娠中の女性は、食べ物に対する嗜好が変わるということは承知していた。グレープフルーツとか炭酸飲料とか、そういうものを好きになるんじゃないかと漠然と考えていた。稀に、土壁とか地面の土を食べたくなる人もいるとも聞いていた(何かの小説で読んだのだ)。

しかし、カスミの場合は全く違っていた。彼女は何故かガラスに食欲を感じたのだ。ビー玉を口の中に入れて何時間もしゃぶったり、ガラスの破片を少しずつ齧ったりしていたのだ。

もう一つ、気になることがあった。カスミに代理出産の仕事を紹介してくれたユイと、ちょうど出産をする時期くらいから、急に連絡が取れなくなってしまってことだ。

やがて、カスミは臨月になった。彼女は、研究所からの命令で、出産のための特別の施設に入り、そこの子供を産むことになった。

その施設は、都心から車で何時間もかかるような、かなり辺鄙な場所にあった。森の中へ続く細い道を進むと、突如、その施設が姿を現した。鬱蒼とした森林の中で、コンクリートで作られたその巨大な建物は、明らかに異様だった。

カスミはその施設の中の一室に寝泊まりをした。施設の中には何十人もの臨月の妊婦たち(多分、みな代理母たちだろう)がいて、それぞれ個室を当てがわれて生活をしていた。そこで目前に迫った出産を待っていたのだ。冷たいコンクリートの建物の中で、何十人もの妊婦たちが暮らしている様子は、明らかに異様だった。

施設には多くの男女のスタッフが常駐していて、妊婦たちの世話をしていた。食事のときだけは、広い食堂に妊婦たちが集まった。しかし、お互いに言葉を交わすことはほとんどなかった。そうすることを特に禁じられていたわけではないのだが、何となくそうすることが憚られていたのだ。彼女たちの心の奥底に巣食っている不安の塊のようなものの所為もあったかもしれない。

カスミは唯一、美しい顔立ちをしたある妊婦と時々話をするようになった。彼女も代理出産のためこの施設に入れられていた。訊いてみると、彼女の食欲も異常だった。彼女は髪の毛に食欲を感じ、時々、自分の髪をハサミで切っては、それを食べている、とのことだった。

施設に来て数日後、カスミに陣痛が襲ってきた。すると、スタッフがカスミにアイマスクで目隠しをした。「出産が終わるまで、こうしてもらいます」とスタッフは言った。カスミは視界を奪われることに不安を感じたが、命令に従うしかなかった。何も見えない状態のまま、車イスで移動した。移動した時間からみて、それは施設のかなり隅の方にある場所のようだった。

車イスでの移動中、カスミは破水した。

カスミの出産はかなり軽かった。通常はまず陣痛室で何時間も陣痛を耐えなければならないのだが、彼女はそこを素通りし、直接分娩室へ運ばれた。
アイマスクをさせられていたため、カスミには分娩室の様子はわからなかった。しかし、そこには金属的なヒンヤリとした空気が立ち込めていた。カスミの周りでは、何人かの男女のスタッフたちが慌ただしく立ち働いているようだった。
カスミは分娩室のベッドに寝かせられた。続けざまに、陣痛が襲ってきた。そしてわずか一時間ほどで、カスミは赤ん坊を出産した。

しかし、カスミはひどいショックを受けた。確かに赤ん坊は産み落とされたはずだった。しかし、泣き声が一切聞こえてこないのだ。「もしかして、死産だったんだろうか……」カスミはパニックを起こしそうになった。

しかし、周りのスタッフは全く慌てた様子を見せない。ひどく冷静に、任務を淡々とこなしているように思えるのだ。混乱したカスミは、痛みに苦しむようなふりをして、激しくベッドの上で頭を揺り動かした。それによって、ほんの少しだけアイマスクがずれて、隙間から自分が今産んだばかりの赤ん坊の姿が見えた。

それは人間の赤ん坊とはかけ離れた存在だった。若い女性スタッフに抱きかかえられたそれは、直径50cmほどの球体のように見えた。乳白色の物体ではあったが、その中心に真っ黒い円があった。

「眼球だ」、とカスミは思った。「私は巨大な眼球を出産したんだ」

すぐにスタッフがカスミのずれたアイマスクを直したので、カスミの視界は再び閉ざされた。そして、別のスタッフがカスミの腕に何かを注射した。その直後、カスミは意識を失い、深い闇の中に落ちて行った。

あるシンポジウムの会場。満員の観衆の前で、白衣を着た研究者が発表を行っている。
その研究者は、スライドを示しながら次のように発言する。
「われわれは、来たるべき隣国との戦いに備え、極めて強力な兵器を開発しております。そして、すでにそれは実用化の段階に入っているのであります。その極めて強力な兵器とは何か。それは巨大な兵士です。新たな人類ともいえるこの兵士たちは、身長は8メートルにもおよび、俊敏な運動能力と、高度な知的能力を兼ね備えています。この巨大兵士を量産することで、わが国は、わが国の国土を蹂躙しようとする隣国に対し、圧倒的な軍事的優位に立てるものと確信しております」
その言葉を聞き、客席の最前列に座っていた男が立ち上がり、研究者を讃える拍手を始める。すぐに堰を切ったように、満場の拍手喝采がそれに続く。